織田信長  
―うつけ者と呼ばれた革命児―

日本の戦国時代に西洋の技術と南蛮文化を積極的に取り入れた先駆者である織田信長は、鉄砲や火薬といった武器の導入により戦術を革新して時の勢力図を塗り替えた他、キリスト教の宣教師を歓迎し、南蛮貿易を推進することで、経済や文化に新風をもたらしました。

奇抜で独特な服装を好んだことから若い頃は「うつけ者」と呼ばれ、伝統的な武士の装いを好まず、豪華で派手な衣装を身にまとい、鮮やかな色彩や南蛮渡来の異国風の衣装を取り入れることもありました。その大胆なスタイルは、常識にとらわれない革新者としての姿勢の表れでもあり、周囲の武将たちの注目を集めるとともに、自らの強烈な個性を印象づけました。信長の服装は、その先進的なビジョンと大胆さを象徴するものであり、彼の破格のリーダーシップがうかがえる一面です。

信長と揚羽蝶 
―天下統一の象徴―

織田信長が使用していた家紋は7つあったと言われ、そのうちの1つの揚羽蝶の家紋は平氏の平清盛が使用していたものです。当時の実権を握っていた源氏の足利家に変わって天下を統一するとの意味を込めて使用していたと言われています。信長が実際に着用していたとされる陣羽織”黒鳥毛揚羽蝶模様”の背中にも蝶の模様が見られます。

NOBNAGA parisのブランドロゴであるトリコロールカラーの蝶も、信長の好んだ揚羽蝶に着想を得ています。

弥助の存在
―時代を越えた先進的感覚―

織田信長は、西洋や南蛮文化を取り入れる中で、アフリカ出身の黒人侍・弥助を側近に迎えました。弥助は日本に渡来した宣教師に随行していたところを信長に召し抱えられ、その異国の風貌や強さで信長の大きな関心を引きました。信長は弥助を深く信頼し、彼を家臣として扱うなど、当時としては異例の親しみを示したのでした。信長の多様な文化に対する寛容さと開かれた心は、彼の先進的な視野を物語っています。

2024年春夏コレクションでは、イエズス会の黒人従者を描いたとされる絵から着想を得たコレクションを発表しました。